「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明」を見た後のシン・エヴァの感想
*以降の内容はネタバレを含むので注意されたし。私はそこまでエヴァに詳しくないので矛盾や勘違いがあるかもしれない。
- 2021/03/23 初稿
はじめに
2021/03/22 に NHK にて放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明」を見て、これまでに投稿した「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の感想、及び考察 1、2 が無意味であったことに気がついてしまったため、最終的な感想を書きたい。
感想
まずは、「プロフェッショナル」を見ている時にとった雑なメモを記しておく。
- 庵野は大人に成れていない
- 緒方「庵野監督が作らなければエヴァではない。」
- 庵野は少女少年
- 自分の外
- 肥大化した自己へのアンチテーゼ
- 今までの延長ではなく新しいものにしたい
- 謎に包まれたものを喜ばない時代
- 自分の命より、作品
- 父親が世界を憎んでいた
- どっか欠けてる方がいい(父親の影響)
- モヨコ「誰かが一緒にいるだけで救われる。」
- 自分の状況と作品がリンクする
- 思ったより理解されていない
- 終わらせることは義務
- 卒業は必ず来る
- Q:なんで命をかけるか?→A:世間で自分が役に立てることだから
簡単にまとめる。庵野監督は大人に成りきれていないおらず、少年のようであり少女のようでもある人物である。庵野監督の父は事故により片足を失ったため世界を憎んでおり、幼い庵野に辛く当たることもあった。そんな父を肯定しようという潜在意識からか、幼い頃からどこか欠けたキャラクターに魅力を感じていた。おそらく、エヴァパイロットたちがどこか欠けているのはこれに端を発しているのだろう。本作を作製するにあたって、庵野監督は自分の想像を超えるものを作るために鶴巻監督や樋口監督らにできるだけ作製を任せようとする。このことを庵野監督が「肥大化した自己へのアンチテーゼ」と言っていて、ATフィールドという言葉が想起された。作製シーンにおいて、庵野監督は命を燃やしていた。しかしながら、そのようにして作ったものがスタッフから理解されずに苦む。何度も脚本を書き直しながらも、「終わらせることは義務」、「卒業は必ず来る」といい完成を目指していた。全編庵野節が効いていて最高だったのでぜひみて欲しい。
今回この番組を見て第一に思ったことは、「シン・エヴァは庵野監督がエヴァを終わらせるために作った作品である。」ということである*1。
これまで私はシン・エヴァをエヴァンゲリオンシリーズの物語の最後の「物語」だと思って、感想や考察を記してきた。しかしながら、実際には本作は「庵野監督がエヴァという作品から卒業するための私小説」であった。番組中において庵野監督は「序、破、Qの延長のような物語は作りたくない。」と言い、「どう作ってもエヴァンゲリオンになってしまう」ことに苦しむ。つまり、庵野監督としては「エヴァンゲリオン」という作品を卒業して、新たな作品に取り掛かりたいということであったのだろう。確かに、25年もの長い期間を「エヴァンゲリオン」という作品に囚われ続けるというのは並大抵の苦しみではなかっただろう*2。
番組の終盤において庵野監督から前向きというか明るい雰囲気を感じて非常に驚いた。番組中でも言及されていたが、庵野監督は作品を作るときにメンタルを病むほど命を削っているというイメージがあったからだ。おそらく、脚本が完成して終わりが見えてきたために重圧から解放されつつあったのだと思う。緒方さんの「さよなら全てのエヴァンゲリオン」というセリフをとるシーンで、緒方さんに対して一発OKを出す場面はなぜか感動して泣けてきてしまった。
本作の最後は全てのエヴァンゲリオンを破壊してエヴァンゲリオンの存在しない世界を作るというものであった。これを庵野監督に置き換えると、これまでのエヴァンゲリオンシリーズを超える作品を完結作とすることでエヴァンゲリオンという枠組みを超え、新たな作品の作製にとりかかるということなのだろう。やっとシン・エヴァの楽しみ方がわかったのでもう1回見に行きたい*3。
最後に
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を最初に見た時は終わり方は気に食わなかったものの、どうしようもないほどの「終わり」を感じ*4、「さよなら。おめでとう」という気分にさせられた。色々と他の人の感想を見てみても、賛否両論問わず皆「終わり」を感じているようであった。このような「終わり」を私たちに感じさせることができている時点で、庵野監督の目的は達成されただろう。「さよなら、全てのエヴァンゲリオン。」
キャリアに関する悩み
はじめに
博士課程1年も終わりかけのこの時期になると就活を意識し始める。博士課程進学者というのはかなりの少数派であるため、就活情報が本当に少ない。情報を聞くことができる相手といえば、自分の先輩、ボス、ポスドクや助教くらいである。就職先は、アカデミア*1、研究所、企業が主である。
今のところの志望順としては、企業、研究所、アカデミアである。以降、詳しくそれぞれみていきたい。説明の都合でアカデミア、企業、研究所の順で良いところと悪いところを書いていく*2。
希望としては、そこそこの給料でそこそこの研究をしてプライベートの時間を取ることができて欲しい。
アカデミア
人生を生贄に捧げて人類に貢献する場所。
良いところ
- 自分の成果を自分の名前で発表できる。
- 研究内容の自由度が他と比較した時に最も高い。
- テニュアになれば相当やらかさない限りリストラされることはない。
- 准教授になれば個室を与えられることがあり、教授になればほぼ間違いなく個室が与えられる。つまり、自分だけの仕事部屋が存在する。
- 基本は服装自由。理学系で短パンの先生を見たことがある。
悪いところ
- 仕事量に対する給料が安すぎる。
- 忙しすぎて休みが存在しない。いつ眠っているかわからない先生がかなり多い。
- 自分で研究室を運営するようになると、自分で研究はできなくなる。主に事務関係が仕事になる。
- 残業時間や有給の管理が全くできておらずドブラックである。
- 40台でも任期付きのポストしかないことも普通になる。テニュアに就くまでは将来の安定性が皆無。
- 研究室のボスがワーカーホリックだと、それを押し付けられる。
- 自力で予算をとってこないと何もできない。
企業
ピンキリだが、企業を選べばワークライフバランスが1番いい。
良いところ
- 研究職についたとしてもそれなりの給料を期待できる。
- それなりの規模の企業になれば労働基準法を守ろうとするので、労働時間や有給などが管理される。
- 福利厚生がアカデミアよりも圧倒的に良い。
- アカデミアのように若い時に任期の心配をする必要がない。
悪いところ
- 研究内容に自由度がない。
- 自分の名前で成果を発表するのは難しい。
- 景気が悪くなるとリストラがある。
- 日系企業だと博士持ちの待遇がよくない。
研究所
アカデミアと企業の中間。
良いところ
- 自分の名前で成果を発表できる。
- 自分で手を動かして研究できる。
- 給料もそこそこ。
- テニュアになればリストラはないはず。
悪いところ
- テニュアになるまでが安定しない。
- 場所によってはアカデミア以上にブラックになる。もちろんアカデミアよりホワイトなところが多い。
- 最終的なキャリア目標が定めにくい。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の感想、及び考察 2
*以降の内容はネタバレを含むので注意されたし。私はそこまでエヴァに詳しくないので矛盾や勘違いがあるかもしれない。
- 2021/03/20 初稿
はじめに
よくよく考えたら私はそんなにアスカが好きじゃないことに気がついたので、2回目を見てもいいかなと思うようになった。そこで、2021年3月18日、新劇場版ヱヴァンゲリオンの完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の2回目をIMAXで見に行った。1回目見に行った時の感想、考察の記事に追記しようかとも思ったが、別記事として書くことにした*1。
感想
前回見てから変わった感想や新たに思ったことを箇条書きにする。
- 2回目見てもピンク髪の存在価値がわからん。
- ヒロインはトウジ妹の方がまだ納得感があった。
- 1回目ではラストシーンのアスカを見つけられなかったが、今回は見つけられたのが嬉しい。なんでケンスケと一緒にいないんだ?
- やっぱり新世界 end は気に食わない。
考察
最初のパリの描写の存在意義
1回目見た時、パリ編があった意味がわからないという話をオタクとした。当時は、パリのように世界中をニアサードインパクト以前*2の姿に戻していくというシナリオで話が進んでいくと予想して見ていたため、こんな感想になった。今回このパートを注視していたら「2号機の新造、及び8号機修理のパーツ回収」が目的と言っていたので、前回は単に聞き逃していただけだった*3。
2号機の中身
2号機が13号機を封印しようとする際に、2号機のATフィールドが邪魔で13号機に触れることができないという場面がある。このATフィールドは式波由来ではなく、13号機に怯えた2号機から発せらているものらしい。このことから考えるに、2号機にもなんらかの人物の魂がトラップされているということがわかる。
式波の魂が13号機に取り込まれる際に、「式波式オリジナル」が登場する。これが2号機に入っているのかとも思ったが、オリジナルが13号機に怯えるはずがないため、オリジナルではないだろう。2回目を見ても、2号機の中身についての考察は進まない。
イスカリオテのマリ
冬月がピチャする前にマリのことを「イスカリオテのマリ」と呼んでいる*4。キリスト教の教養がないので wiki を参考にする。イスカリオテは12番目の使徒である。新劇場版でいうと12番目の使徒は Mark. 06に入っていたやつであるため、使徒の意味で冬月が使ったわけではなさそうだ。イスカリオテと言えば「ユダ」である。ユダがキリストを裏切った末に死ぬことから、「ユダ」は裏切り者の代名詞とされている。人類(リリン)ではないマリ*5が人類側についたため、「裏切り者」とされているのだと思う。
全てのエヴァンゲリオンの破壊
シンジは新たな槍を用いて全てのエヴァンゲリオンを破壊する。このシーンにおいて8号機が破壊される描写はなかった。おそらく、マリがシンジを迎えに行くには8号機が演出上必要なため、8号機は破壊できなかったのであろう。一応最後に8号機は消えているが、槍で貫かれてないのはいいんだろうか?8号機を起点にした続編のフラグか?
新世界 end について
1回目見た時も思ったが、どうして全てのエヴァを破壊すれば平和な世界を作ることができるのだろう。結局は補完されなかったので、新しい世界でも使徒は襲来するんじゃないんだろうか?人類補完計画は人類が起こそうとしているものだが、使徒の襲来は人為的なものではなかったはずである。
最後に
ANIMAをアニメ化して欲しいな。やっぱりANIMAが1番好きである*6。
最近欲しいもの
はじめに
最近、物欲の塊になっているので欲しいおもちゃ等を列挙していく。4月から出費が増える予定で、念のためにお金を貯めているので買えずにいてもどかしい。早く独身貴族になりたい。
欲しいものリスト
- METAL BUILD エヴァンゲリオン 初号機 [EVA2020]
- METAL BUILD エヴァンゲリオン 2号機 [EVA2020]
- ダイノゾーン DE-1 ギガノドラゴン
- ステレス製 青眼の白龍
METAL BUILD エヴァンゲリオン 初号機 & 2号機 [EVA2020]
当たり前だが、新品は売っていない。未開封品が出回っており、メルカリやヤフオクを見てみると定価 + 5000 円くらいが相場になっているようである。それほどぼったくり価格ではないが、信条的に転売ヤーからは買いたくないので買わない。それならば、駿河屋とかで定価より安い中古品を買う方がましだ。ただ急いで買わずとも、もう少ししたら再販があるんじゃないかと踏んでいる。現に前バージョンについては発売されてから半年くらいして再販されている。
2号機については [EVA2020] バージョンが好みなのだが、初号機は前バージョンの方が好みである。初号機の色味が [EVA2020] だと金属光沢がありすぎるのと、前バージョンの顔の方がなんとなく好きである。問題は前バージョンにはロンギヌスの槍が入っていないことである。初号機にロンギヌスの槍を持たせて飾っておきたい身としては致命的である。お金があれば両モデルを買って、前バージョンにロンギヌスの槍を持たせて飾っておくのだが。
ダイノゾーン DE-1 ギガノドラゴン
小さいころ欲しかったのだが、これより欲しかったゾイドが何かを親に買ってもらったため、結局買ってもらえなかった。これの変身ギミックはすごい。トランスフォーマー系にはないギミックである。言葉で説明するのは難しいので、調べてみるか、この動画あたりを見てみて欲しい。ちなみにこのシリーズだとシーザウルスという海亀がモデルのものは持っていた。トランスフォーマー系も好きだったのでこの辺りは刺さる。
ステンレス製 青眼の白龍
初期遊戯王がもろに世代である。めちゃくちゃ懐かしい。紙に比べたら保管が楽なんじゃないかと思っている*1。ブルーアイズは再録されまくっているが、初期のデザインが1番かっこいいと思う。そんなに高くないのでいずれ手に入れたい。遊戯王は値段の上下が結構あるっぽいので買うときはその辺りに注意したい。余裕があったらブラック・マジシャンも並べたい気もする。
*1:実際のところは知らない。塗料が剥がれやすかったりするかもしれない。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の感想、及び考察
*以降の内容はネタバレを含むので注意されたし。私はそこまでエヴァに詳しくないので矛盾や勘違いがあるかもしれない。
- 2021/03/10 初稿
はじめに
2021年3月8日、新劇場版ヱヴァンゲリオンの完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が公開された。公開前より「さよなら、エヴァンゲリオン」、「最後のエヴァンゲリオン」などと言うキャッチコピーから、TV版から続くエヴァシリーズが本当に完結するのではないかとファンの間で話題になっていた。
私としては庵野監督のことだから終わらないだろうと思いながらも、8時20分の回を見るべく劇場に向かった。
映画の感想、及び考察に移る前に、簡単に自分がどのエヴァを履修しているか紹介する*1*2。
- TV版:履修済み
- 旧劇場版:履修済み
- エヴァンゲリオン ANIMA:履修済み*3
- 貞本版エヴァ:履修済み
- 新劇場版:履修済み
ちなみに、最も好きなキャラクターは綾波レイだが彼女がヒロインになることはないと考えているため、ヒロインは惣流・アスカ・ラングレー*4だと思っている*5。
感想
見ていないと何を言っているのかわからないと思う。まだ1回しか見ていないのであらすじは記していない。
序盤の感想(ピチャァするくらいまで)
タイトルがヱヴァ〜からエヴァ〜に戻るに伴い、シンジの性格も「破」で見られたようなアニメの主人公らしい性格から旧作のような性格に戻っていた。相変わらずシンジにはイライラさせられた。だがシンジの立場になって考えてみると、命懸けで救おうとした綾波がいなくなり、14才という多感な時期に目の前で友人の首をはねられたりしたらメンタルはやられるだろうし、久しぶりに会った友人が見た目も中身も大人になっていたら戸惑うのもしょうがないだろう。本作中では唯一シンジだけが見た目も中身も14才のままである。ピチャァするまでシンジに動きはほぼないので他の登場人物の話に移る。
序盤はニアサードインパクトから生き残った人たちが生活する村が舞台である。この村の話だけで1時間近く時間を使っており、「本当にちゃんと終わるのか?」「TV版みたいなとんでもendになるんじゃないか?」と見ていてハラハラした。
その村にはケンスケ、トウジ、ヒカリが暮らしていた。トウジとヒカリは結婚し子供もいて、予想通りながら嬉しかった。何気にこの2人が結ばれる描写があるのは初めて見たように思う。みんな見た目からは一瞬誰かわからず、声を聞いてよく見ると誰かわかるといった様子であった。特にケンスケに関しては加持さんかと思ってしまった。
綾波レイ(仮称)*6の話をする前に、オタクがメンタルをやられだす部分の話をする。綾波がトウジ・ヒカリ家に滞在する一方で、シンジはケンスケ宅に滞在する。このケンスケ宅なのだが、なぜかアスカがいる。家でケンスケに上裸を見られても平然としており、ケンスケを「ケンケン」と呼んでいる。ケンスケの風貌が加持さんに似ていることも合間って、オタクは内心ざわついていた。こんな状況で、アスカからシンジに対し「先に大人になちゃった。」という発言があり、オタクは匙を投げた*7。別にアスカを推しているわけではないが、直前にANIMAを読んでしまっていたのでメンタルへのダメージが半端なかった。
ケンスケとアスカの関係性については解釈不一致であったが、ケンスケ、トウジ、ヒカリは頼れる大人に成長してした。正直、エヴァシリーズに出てくる大人の中で最も大人らしい大人のように感じた*8。ニアサードインパクトを生き残るために大人になるしかなかったらしいが、それだとセカンドインパクトから生き延びたミサトさんがあまりに残念ということになってしまうんじゃないかとも思った。
途中で加持さんとミサトさんの子供が出てくる。加持さん自身はサードインパクトを止めるために死んだらしいが詳しい描写はなかった。その子供の名前がリョウジ*9なあたりにミサトさんの残念な部分が溢れている。Q以降は厳しい人という印象が強いが根本の残念さは健在しているようである。
序盤において、最大の癒しは綾波であった。綾波は村民たちとの共同生活を通して「人間味」を獲得していく。これまでのように「命令に従うために生きる」のではなく、「日々を生きるために生きる」ことで綾波は「自分は何者か」考えるようになる。この過程の綾波は本当に最高だった。アスカの件もあって、まさかの綾波ヒロインルートに突入してるのかと思って感極まっていた。シンジも綾波との交流を通して立ち直っていく。しかしながら、流石の庵野監督、話をこのまま流したりはしない。人造人間たる綾波はNERVでの調整なしでは生きられない。シンジに対し、好意を伝え、もっと生きたいと言いながらLCLになる様に思わず涙ぐんだ。
消える綾波を目にしたシンジは再び立ち上がり、ゲンドウを止めることを決意する。結局シンジは綾波のことをどう思っていたんだろうか?ゲンドウと戦うことを決意したときの原動力は怒りだったんだろうか、それとも悲しみや他の感情だったんだろうか。いつものことだが、不貞腐れている時以外のシンジの感情はわかりにくい。
中盤の感想(シンジがゲンドウとの戦いに出るくらいまで)
中盤から終盤にかけては専門用語のオンパレードな上によくわからない部分が多いので、「うわ〜、すご〜い」くらいの感想しかない。どちらかというと、どういうことなんだろうと考察が捗る部分である。
中盤ではマリとアスカがゲンドウらを止めるためにエヴァで戦う。この2人でATフィールドを展開するシーンはプリキュア感があって非常によかった。映像媒体においてはアスカに同性の友人がいる描写はなかったように思う*10ので、言葉ではなんやかんや言いつつもアスカに同性の友人がいるという描写は見ていて嬉しくなった*11。
13号機を封印しようとするアスカであったが、別のアスカによって13号機に取り込まれてしまう。アスカを使ってフォースインパクトを起こそうということらしい。さらに、13号機とゲンドウによって初号機が奪われてしまう。この時のゲンドウがちゃんと人間をやめていて最高だった。
フォースインパクトを止めに行こうとするシンジに対して銃を突きつけるピンク髪とトウジ妹が唐突すぎて要らなかった。ピンク髪がするはずだった役割をトウジ妹が果たしてしまっているので、ピンク髪の物語上の必要性がなかったように思う。どうして登場したんだピンク髪は。
シンジを送り出すミサトさんは「破」のラストと相似していた。結局のところ、物語を通してシンジの成長を期待し応援していたのはミサトさんだったように思う。「Q」でシンジに冷たく接していたのも愛情の裏返しだったようだ(本当に?)。
終盤の感想(ラストまで)
とんでもendを迎えるんじゃないかとヒヤヒヤしながら終盤は見ていた。もっともヒヤヒヤしたのは、特撮撮影現場のような描写が出た時である。某ドラクエ映画*12のようなラストがくるんじゃないかと冷や汗を書いていた。庵野監督ならやってもおかしくないというのが不安をさらに煽る。
TV版、旧劇場版、ANIMA、貞本版を彷彿とさせるシーンが多々あり、本作が集大成であることをひしひしと感じたが、世界を作り直すendになってしまったのが非常に残念だった。TV版、旧劇場版、ANIMA、貞本版の全てと異なるendにするのは難しいかもしれないが、本作に関しては貞本版と同じような終わり方にするのは禁じ手だ。本作中において、シンジが「破」・「Q」でしてしまったことと向き合い立ち直っていくという描写や父ゲンドウとの対話を経て成長するという描写が一気に空虚なものになってしまった。世界が再構築されることにより、シンジの成長の基盤が失われてしまったことになる*13。困難を乗り越え同じ世界で生きていくという描写*14をしなければ、シンジの成長の物語として成り立たないのではないだろうか*15。最後の描写的にシンジとマリは新世界でも記憶を保持していそうだが、覚えていれば良いというものでもないだろう。蛇足だが、ミサトさんが自らの命を犠牲にしてまで願った息子の生存は、これで果たされたと言えるんだろうか。
考察
ここまで長々書いてきたが、本編の考察はこれからである。考察も長々書いていくことになると思う。
式波・アスカ・ラングレーとは
新劇場版におけるアスカ周りの大きな変更点といえば下記のものになるだろう。
- 名前が「惣流」から「式波」に変わった。
- 綾波と同じような人造人間になった。
- 2号機に母親が入っているという設定がなくなった。
本作終盤における「渚」の意味の説明から考えるに、1点目と2点目は関連しているだろう。川*16を連想させる「流」から海を連想させる「波」への変更は、「ヒト」から「ヒトならざるもの」への変化を表しているのだろう。式波が人造人間であるということは、綾波にとってのユイのような母体になる存在がいると考えられる。候補としては、「惣流」と「アスカの母親」のいずれかが考えられる。EU支部にゲンドウのような関係者がいれば「アスカの母親」でも良さそうだが、いくらなんでもぶっ飛んでると思うのでこの説は棄却したい。「惣流」と考えるのが無難かと思う。パイロットとして訓練を受けていた惣流が14才になる前に死んでしまい、そのバックアップとしての「式波」が作られたのではないだろうか。そう考えると「惣流はどこに行った?」問題も解決できるように思う*17。
3点目については、なんでなくなったのか考察しがいがある。そもそも新劇場版においてエヴァと母親の関係に関する描写自体がなくなっている*18。「惣流」から「式波」になることで、乗り越えるべきものとしての母親を描く必要がなくなったからではないだろうか。なお、2号機に「惣流」の母親が入っているのかいないのかは明らかにされていない。
真希波・マリ・イラストリアスとは
真希波・マリ・イラストラスとは何者だろうか?「真希波・マリ」なる人物は貞本版の最終巻に登場する。貞本版のマリは冬月研究室の一員として出てきており、この描写は本作でも描かれているため、貞本版のマリと本作のマリは同一人物と考えて差し支え無さそうだ。ただ、そう考えるとマリの年齢の辻褄が会わなくなってしまう。エヴァに乗れることを考えると14才であるはずだが、冬月研にいた時にすでに16才であったことから若返っている必要がある。もう1人、マリという人物がANIMAには出てくる。ANIMAにおけるマリは幼女キャラであり、見た目も年齢も貞本版や本作とは異なっている。ただ、本作との類似点もある。ANIMAにおいてマリはUSエヴァビースト/ウルフパックというエヴァに乗っている。このエヴァはその名の通り獣(狼 or 犬)を模したエヴァであり、しかも敵を捕食して自分の一部にするという描写がある。新劇場版を通してマリの乗った2号機が獣になるシーンがいくつかあり、本作においては量産型エヴァを捕食することで自分の力とする描写がある。また、新劇場版においてマリが匂いを嗅ぐ描写があったが、これはウルフパックとの関係を匂わせる描写のように思う。
もう1点、2号機周りでANIMAとの繋がりを感じる描写がある。それは、本作において式波が13号機を封印しようとする際に巨大な獣のような姿になる場面である。これはANIMAにおける、方舟に触れた後の2号機あるいはウルフパックを連想させる。
新劇場版においてANIMAの設定を引きずっていると考えると、2号機にアスカの母親が入っていたとしてもマリが2号機に乗れることも説明できる。ANIMAにおいてウルフパックは2号機を捕食しており、マリとアスカの母親に繋がりができている描写がされているからだ。
時系列について
私はエヴァシリーズは「ループ」あるいは「ループ+多世界解釈」ものだと思っている。割とポピュラーな考え方だと思うが、こう考えているせいで整合性の点から考察が大変になっている。もしかして、それぞれ別作品と考えて整合性とか気にしない方がいいんだろうか*19。
最後に
ここまで色々書いてきた。本作の終わり方に関して思うところはあるが、集大成であることが感じられる作品であることは間違いない。見終わった後の、「長かったシリーズがとうとう終わってしまった。」というなんとも言えない寂寥感と満足感があった。
「序」が公開された時、シンジに年齢が近かった。「シン」が公開された今では、ミサトさんや本作のケンスケ、トウジに年齢が近くなってしまった。今も大学で学生をやっていることもあって、「序」公開当時の私が目指していたような大人に私はなれていない。「大人になる」とはどういうことか。どういった時になれるのか。本作及びこの文章を書くことを経て、そういったことを真面目に考えるようになった。
*1:スピンオフ系はほとんど未履修である。ちょっとだけ育成計画とピコピコ中学生を読んだくらい。
*2:履修済みのもので最も好きなのはANIMAである。次点でAirが好きだ。
*3:映画を見る直前にこれを読み直しておいて本当によかった。
*4:「惣流」としている点にオタクの悪あがきが詰まっている。
*5:この見解がのちにオタクを苦しめる。
*7:友人との感想戦で「それはそういう意味じゃなくて、精神的成長のことだろう。」と言われたが、敏感なオタクなのでそうは受け取れなかった。オタクにはオタク特有の神経質さがあるのである。
*8:NERV関係の大人が残念すぎるだけかもしれない。
*9:加持さんの名前もリョウジである。
*10:綾波やヒカリとは友人と呼べるほどの関係ではないと思う。
*11:ここまで書いて気づいたんだが、私はもしかしてアスカ推しなんだろうか?
*12:確かこれも公開初日に見に行った。初日に見に行ったせいでラストが最悪だということを知らずに見てしまった。あれは見ない方が良い。
*13:貞本版でのendはあれはあれでいいと思う。貞本版はシンジの成長の物語だとは思っていないので。
*14:私がANIMAを好きすぎるだけかもしれない。
*15:もしかしてシンジの成長の物語ではなかった?
*16:川は陸地にある
*17:式波は惣流とは別人だと自分に言い聞かせることで今回のケンスケとの件はなんとか納得することができた。
*18:初号機には相変わらずユイが入っているが
*19:これまでの考察を全てぶち壊す発言。