「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明」を見た後のシン・エヴァの感想
*以降の内容はネタバレを含むので注意されたし。私はそこまでエヴァに詳しくないので矛盾や勘違いがあるかもしれない。
- 2021/03/23 初稿
はじめに
2021/03/22 に NHK にて放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明」を見て、これまでに投稿した「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の感想、及び考察 1、2 が無意味であったことに気がついてしまったため、最終的な感想を書きたい。
感想
まずは、「プロフェッショナル」を見ている時にとった雑なメモを記しておく。
- 庵野は大人に成れていない
- 緒方「庵野監督が作らなければエヴァではない。」
- 庵野は少女少年
- 自分の外
- 肥大化した自己へのアンチテーゼ
- 今までの延長ではなく新しいものにしたい
- 謎に包まれたものを喜ばない時代
- 自分の命より、作品
- 父親が世界を憎んでいた
- どっか欠けてる方がいい(父親の影響)
- モヨコ「誰かが一緒にいるだけで救われる。」
- 自分の状況と作品がリンクする
- 思ったより理解されていない
- 終わらせることは義務
- 卒業は必ず来る
- Q:なんで命をかけるか?→A:世間で自分が役に立てることだから
簡単にまとめる。庵野監督は大人に成りきれていないおらず、少年のようであり少女のようでもある人物である。庵野監督の父は事故により片足を失ったため世界を憎んでおり、幼い庵野に辛く当たることもあった。そんな父を肯定しようという潜在意識からか、幼い頃からどこか欠けたキャラクターに魅力を感じていた。おそらく、エヴァパイロットたちがどこか欠けているのはこれに端を発しているのだろう。本作を作製するにあたって、庵野監督は自分の想像を超えるものを作るために鶴巻監督や樋口監督らにできるだけ作製を任せようとする。このことを庵野監督が「肥大化した自己へのアンチテーゼ」と言っていて、ATフィールドという言葉が想起された。作製シーンにおいて、庵野監督は命を燃やしていた。しかしながら、そのようにして作ったものがスタッフから理解されずに苦む。何度も脚本を書き直しながらも、「終わらせることは義務」、「卒業は必ず来る」といい完成を目指していた。全編庵野節が効いていて最高だったのでぜひみて欲しい。
今回この番組を見て第一に思ったことは、「シン・エヴァは庵野監督がエヴァを終わらせるために作った作品である。」ということである*1。
これまで私はシン・エヴァをエヴァンゲリオンシリーズの物語の最後の「物語」だと思って、感想や考察を記してきた。しかしながら、実際には本作は「庵野監督がエヴァという作品から卒業するための私小説」であった。番組中において庵野監督は「序、破、Qの延長のような物語は作りたくない。」と言い、「どう作ってもエヴァンゲリオンになってしまう」ことに苦しむ。つまり、庵野監督としては「エヴァンゲリオン」という作品を卒業して、新たな作品に取り掛かりたいということであったのだろう。確かに、25年もの長い期間を「エヴァンゲリオン」という作品に囚われ続けるというのは並大抵の苦しみではなかっただろう*2。
番組の終盤において庵野監督から前向きというか明るい雰囲気を感じて非常に驚いた。番組中でも言及されていたが、庵野監督は作品を作るときにメンタルを病むほど命を削っているというイメージがあったからだ。おそらく、脚本が完成して終わりが見えてきたために重圧から解放されつつあったのだと思う。緒方さんの「さよなら全てのエヴァンゲリオン」というセリフをとるシーンで、緒方さんに対して一発OKを出す場面はなぜか感動して泣けてきてしまった。
本作の最後は全てのエヴァンゲリオンを破壊してエヴァンゲリオンの存在しない世界を作るというものであった。これを庵野監督に置き換えると、これまでのエヴァンゲリオンシリーズを超える作品を完結作とすることでエヴァンゲリオンという枠組みを超え、新たな作品の作製にとりかかるということなのだろう。やっとシン・エヴァの楽しみ方がわかったのでもう1回見に行きたい*3。
最後に
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を最初に見た時は終わり方は気に食わなかったものの、どうしようもないほどの「終わり」を感じ*4、「さよなら。おめでとう」という気分にさせられた。色々と他の人の感想を見てみても、賛否両論問わず皆「終わり」を感じているようであった。このような「終わり」を私たちに感じさせることができている時点で、庵野監督の目的は達成されただろう。「さよなら、全てのエヴァンゲリオン。」